異性との出会い・同性との語りあい
なにもないところで転んでしまった時、非常にさみしい思いをします。それを支えようとしている人もいなければ、異性に夢中になりすぎてこけてしまったという理由でもなく、ただ何もないところで転んだということに孤独感をなぜか感じてしまうのです。何をしているのか、なんでこんなところで転んでいるのか。車とぶつかって転んで救急車で運ばれても、すっ飛んできてくれるような異性が一人もいないことはとてもさみしいこと。人間、よわっているときこそ普段意識していない恋愛に、やたらと孤独感を意識させられるのです。普段は、何気ない会話だけでなんとなくを過ごしている人でも、たった一人の異性との出会いすらご無沙汰である以上は、孤独に打ちひしがれても仕方がありません。
恋愛がしたくてもできないのは誰のせいでもありません。出会いがないことも、異性から全くのアプローチがないこともきっと誰のせいでもないのです。モテないからといってそれが不幸の象徴だとは思えませんし、どうしても恋人がほしいのであれば自らいろんなところに出歩くのみです。
恋人がいても孤独感を感じる人はいるでしょう。常にその人を感じることができない環境にあれば、独り身と何ら変わりません。もちろん、何かあったときにすっ飛んできてくれるような存在でもなければ、知らない間にその人の心がどこかに行ってしまっていることになおさら孤独を感じることもあるのです。
さて、本気で出会いを探そうと思えばやはり、自分から積極的に行動を起こさなければならないのでしょうか?自分を作らなければならないというそのプレッシャーに押し粒さえそうになりながらも、異性から堂々とアプローチを受けるためなら何だってするのは、やはり女性のほうでしょう。服装に気を遣い、香水をつけて、髪の毛をセットし化粧をして自分を作らなければ、異性との出会いなんて見つかるはずがないと思っているのです。
それもまた一つの出会いの探し方の一つでしょう。
しかし、それだけではないのです。せっかくおめかししていったのになぜか合コンではだれからもメールアドレスを聞かれなかったということを経験したことはありませんか?それは、あたかも外見だけで判断されるわけでもなければ、ちょっと気を使ったくらいでは最近の人たちは振り向きません。
うようよしている人間に交じりながら、どの人が一番ずば抜けて自分に輝きを見せてくれるのか・・・人それぞれで輝きの見え方は違います。それが異性に求めているものなんです。出会い方がなんであれ、時としてズバリこの人だ!という確信があっても相手にそんな気持ちが一ミリもなければ、話は始らず、そして自分から動いたとしてもその積極性は瞬時にないがしろにされてしまうのも、さえない人間の宿命です。そんなリスクを背負って人は孤独を感じながらも出会いを探し続けているのです。